20歳の集いこと、成人式だった日のこと

この文章は供養であり、フィクションです。

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20歳の集いこと、成人式だった日のこと。まだ本格的に寒い訳ではないが、かなり寒くなってきていた冬の日。いく年か前の「成人の日」。

小中高まで住んでいた都道府県から最低でも5時間はかかる別の都道府県で私は働いていた。

当時はまだ「20歳」で「成人」する時代で、今のように18歳の成人時に集まるか20歳の時に集まるかという選択肢は各自治体になく、「成人の日」に行われがちな「成人式」に統一されていた。

成人式に行ったことのある先輩から「成人式が行われる施設の出入り口で、色々な会社や宗教団体が色々な粗品や広告を配っていた」「成人式の司会進行時に調子に乗った新成人が勝手に式場に上がって暴れていた」「長いこと会わなかった小中学校の同級生と会えて面白かった」など聞いていた。

行きたくない訳ではなかったが、当時はシフト制の職業かつ遠方で働いていたこともあり「たまたま休みになったら行くことも検討しようかな」と思っていた。結局、休み希望を出していない連休だったため、自動で休みにならず行くことはなかった。その日は働きながら「今頃、同窓会をしているのだろうか」と思った記憶がある。

また、昔から「オマケ」や「粗品」という中身が不明瞭なものに心惹かれがちなため、それらは配られたのだろうか、配られたのなら何だったのだろうか、と気になった。そのため後日、同級生に様子を聞いたものの「小学校の同級生に良い思い出はないから、会おうと思えず行ってないのでわからない。中高一貫校主催の同窓会には行った」と言われてしまった。そういう学校主催の同窓会があるパターンもあるのか、と驚き、関心したことも覚えている。

結局、小中高の間微妙に市区町村レベルまでは変わらない範囲とはいえ引越しを繰り返していたことや、ここぞという強い思い入れを生まれ育った地域たちに感じられなかったこと、それにより「地元」という「故郷感」とでもいうのか、その熱い気持ちが持てなかったこと。それらが心に残り続け、成人式には行けなかった。同級生たちがどのように成長して変わっていったのか会ってみたいと思う反面、行くのであればスーツや振り袖を用意しなければならないという手間。それに加えて、帰省費用も労力も時間もかかる。現実的な計算をすると「割に合わない」。その建前を前に、行ってみたい気持ちに蓋をした。十中八九、行ったところで満足はしなかっただろう。拍子抜けだったと思う。そこまで親しい相手も居ないだろうが、それなりに上手くやれるだろうとは予想できた。なんとなく参加して、それとなく同窓会に混ぜてもらって「モブ」に徹する。そんな世界線もあったろうなと思う。

いまだに成人の日を迎える度に「行けば良かったとは言えないけれど、行かなくて心に残っている部分がある。そしてそれは今後とれることもないのだろう」と感じる。私は、成人式の手紙が、小中高または成人時に住んでいる地域、どこから届くのかさえ知らない。この何とも言えない気持ちはいつか消化される日は来るのだろうか。

終わり