とあるアセクシャルの恋愛結婚事情

まず前提としてアセクシャルとは、他人に対して性的欲求を抱かない人のことです。アセクシャルの中でも、性的欲求だけではなく恋愛欲求も抱かない人のことをアロマンティック・アセクシャルと言います。日本の場合はノンセクシャルと意味が混ざったり変わったりするので、同じ言葉でも何を指しているのか確かめた方が齟齬なく話ができていいと思います。この記事はアセクシャル=他人に対して性的欲求を抱かない人という定義で使います。

 

現在私はアセクシャルを自認しているものの、異性と婚姻し結婚生活を送っています。この記事では、今悩んでいる同士に少しでも役に立つといいなと思い、現在の生活に至るまでの自分語りをしたいと思います。

 

アセクシャルの気配は恋愛話が活発化していた小学生の頃からあり、その頃には「どうやら周りの人たちと自分の抱く感情、抱かない感情には何か違いがあるぞ」という自覚がありました。私の場合は、子供や教育が好きだったこともあり、小学生高学年の頃に立てた人生設計から既に「結婚して子供を育てたい」という目標がありました。そのため、現代日本で婚姻のほとんどを占める恋愛結婚の恋愛感情というものを理解することが必要だと感じたのを覚えています。

ただ、中学生になりクラスメイトたちが付き合ったり別れたりを繰り返していく中で「恋」といわれるものを自分が理解するのは無理だという結論に辿り着きます。この結論に至る前は「恋愛感情がわからない」ということに気が付かなかったため「自分は男女その他全員愛せるパンセクシャルなのではないか」と勘違いした時もあります。理解するのは無理でも、恋愛感情の末にアウトプットされるものを真似ることはできると考えるようになりました。アウトプットを真似れば、いつか恋愛感情がわかるようになるのではないかという期待がありました。世間で素敵なものと語られる恋愛というものをしてみたかったのです。

侏儒の言葉』の中で芥川龍之介がいう「恋愛はただ性慾の詩的表現を受けたものである」という言葉を知った時「恋愛=性欲+詩的表現」というように分解できるものなのか!と衝撃を覚えました。当時自分なりに考えた結果「性欲+詩的表現」ではなく「嫉妬心、独占欲、支配欲、親愛、性愛」あたりではないかと思い、自分が他人に抱ける感情から当て嵌めていこうとしました。嫉妬心も性愛も他人に向けることはないけれど、独占欲や支配欲、親愛は向けることができる。

ただ、小中高と異性と付き合ったものの「相手が自分に抱いている恋愛感情に対し、自分が相手に抱いている感情が違う。その違うということ自体を相手に開示していないことは物凄く不義理なのではないか」という騙しているかのような後ろめたさが付きまといました。まだ現在ほどLGBTQSが広がっていなかったこともあり説明し辛く、他人から恋愛関係になりたいと告白される度に、どこか心苦しくなることがありました。社会人になってから交際した相手に対しては「自分がアセクシャルだということを開示し、それにより後ろめたいと思っていること」を伝えたこともあります。ただ、自分にとっては重要でも相手にとってはそうでもなく、あまり理解できないしする気がないという感じを受けたことやその他価値観の相違などもあり、破局しました。

その後、婚活を始めます。結婚相談所に加入し、IBJの街コンへ参加、出会い系アプリは勿論複数個やり、相席屋にも行きました。おおよそ婚活の全種類を制覇してきたといえるのではないでしょうか。なお、結婚相談所は大手のZwey ツヴァイ(https://www.zwei.com)と、恋愛結婚ではなく友情結婚を対象にしたCOLORUS カラーズ(https://www.colorusfsb.com)という相談所などへ話を聞きに行きました。内容が多いので婚活については別記事でいつかまとめたいと思います。

婚活をしていく中でたくさんの異性と会い、他人のいう恋愛感情についてもバリエーションがあることや、そもそも結婚生活に必ずしも恋愛感情は必要ではないと思うように考えが変わっていきました。当たり前かもしれませんが、恋愛関係を求める同年代は少なくないものの、婚姻関係を求める上の世代は恋愛感情を重要視していないことが多かった印象です。大多数の人たちは「恋愛感情とは何か」ということに対して悩んだり考えたりはあまりしないのではないかと思うようになったことも大きいです。

最終的に今の配偶者とは友人の紹介で知り合います。初対面の時から趣味の話が合い、相手が自分に対して気を遣ってくれていることに対し人間性の高さを感じ、強いモーションをかけてくれることから、好意を持つようになり交際に発展、親愛と敬愛が強まり婚姻に至りました。現在もまだ恋愛感情を抱いているかと問うと「わからない」ですが、相手のことが好きですし、大切だと感じます。その気持ちを相手の言語で「好き」「愛している」とするのと中身が違うかもしれないけれど、自分の言語で感情を表すなら近い言葉はそれらのため、後ろめたさを感じることなく伝えることができるようになりました。もっとも、相手に対して一番しっくりくる言葉としては「好きな人」よりも「世界の人類の内で一番お気に入りの人間」という言葉です。一緒に過ごす結婚生活は、今のところ本当に楽しいです。

また、いまだに性欲に対しては、性欲はあるもののそれが相手も例外ではなく他人に向くことはありません。ただ、向かなくても親愛で応じることはできます。アセクシャルでなくても「セックスは好きではないけれど、相手が喜ぶことが嬉しいから行える」という感覚は理解されるものだと思っています。

 

以上、自分語りでした。何が言いたいかというと、今悩んでいるアセクシャルの人たちもどうにかなるようになるし、求めたものが手に入る実例もあるから、あまり悲観的にならないでねという励ましをしたかったわけです。

 

おしまい